不完全で確率的な何か

現在深夜1時。

明日 (今日) は大学時代の友人たちと飲むというのに、こんな時間に書き始めてしまった。今日は遅くに仕事が終わったものだから、自分の時間を欲していたのかもしれない。

このブログでは AI の話ばかりをしているような気がするし、何かとプライベートでも AI について話すことは多いのだが、別に私は AI が好きでも嫌いでもない。だが、今回も AI の話である。

Mailchimp Yes LGTM

普段からコーディングやレビューで AI を多分に活用している。

つい最近、「AI の活用に対してどのような意見や気持ちを持っているか」について、知り合いとざっくばらんに話す機会があった。思い思いに、意見を付箋に書き出した。

私自身、この不完全で確率的な何か (それは人間も同じ?) とどう向き合うべきか、考えがハッキリしていなかったので、こうして立ち止まって考える時間は有意義だった。

この場では私の考えに絞って紹介するが、私の考えは「AI の活用がビジネス価値に寄与しているか分からない」という抽象的な課題意識から始まった。

AI の活用によって得たスピード (曖昧さあり) によって、何かが犠牲になっていないのか、そしてそれがビジネス価値の創出というアウトカムに影響を与えていないか、という不安である。

とはいえ、効果検証・評価をしたとして「AI の活用はビジネス価値に寄与している」と断定できるものではないし、そもそも「AI の活用」と一緒くたにするのもよろしくない。様々な用途、規模の活用があり、その中には実際に良い効果を与えている側面もあるだろう。

一方で「何かが犠牲になっていないのか」という直感的な不安は、犠牲に近い何かを実際に経験したことよって生じているとも感じた。

Dog LGTM

結論から言うと、それは「人間の心に隙を生み出しているのではないか」ということである。

AI を活用する上では、AI でどの程度のアウトプットが出せるか、そしてそれが使えるレベルと感じられれば取り入れる、といったように AI そのものに焦点を当てて考えられることが多いように感じる。

しかし私は、AI を活用することが人間にどのような影響を与えるのか、つまり人間に焦点を当てて考えることも重要ではないかと考えた。

上に犬がパソコンで動画を見ている GIF がある。画像下に書かれている “LGTM” とは、コードレビューで承認を出す際によく使われる「良いと思うよ 👍」的な意味の言葉だ。

この犬は「君のコード、良いと思うよ 👍」と示しているが、実際にはコードなど見ておらず動画を見ている。心の隙とは、つまりこういったことである。

AI が (少なくとも表面的には) 使えるものと評価されたため取り入れる。AI に様々なタスクを投げられるようになる。すると、人間の心には妥協や甘え、隙が生じてくる。AI に任せたら楽ができるからだ。

これは私自身も自覚があるし、他者の行動としても実際に観測した経験がある。AI にレビューを一任することで、レビューという行為が形骸化したり、明らかにフィードバックを AI に丸投げして修正されたものなどなど。

しかし、こういった責任意識の欠如は人間同士でも発生するものであって、AI があるから生み出された問題ではないと思う。しかし、誰もが「一任できる相手」を持てるようになったと言う事実が、この問題を加速させているように感じる。

人間が責任を持つ社会において、それはあってはならないような気がする。正直、考えはまだハッキリしていない。

たらたらと書いていたら3時半だ、寝よう。