異世界から現実へ

昨日は大学時代の友人、そして彼女と北千住のスナックに行った。

路地裏の、更に裏のような場所にあり (それは表では)、雨で周囲の視界も悪かったものだから、一層世間とは切り離された異世界のような、そんな雰囲気を感じた。

私たちは単なる冒険心でこの店を訪れたわけだが、こうした現実と切り離された場所を求めて訪れる人も多いのかもしれない。よく飲み、よく歌い、時にママのパワフル下ネタトークに翻弄されながら、楽しい夜を過ごした。

一夜明け現実に戻った私は、酒を抜くための昼寝を経て、今この記事を書いている。

書き出しからして、最近おすすめのスナックでも紹介しそうな雰囲気だが、あいにく私が訪れたことのあるスナックは北千住の異世界だけである。そのため今日は (今日も)、AI にまつわる話をしようと思う。

このブログでは AI の話ばかりをしているような気がする。何かとプライベートでも AI について話すことは多いのだが、別に私は AI が好きでも嫌いでもない。だが、今回も AI の話である。

AI は日進月歩で進化している。

私は最近、人間が思考や理解、意思決定を益々放棄しやすくなっている状況に、問題意識を感じている。

これは自戒を込めた話でもあるが、つい最近、私が行ったコードに関するフィードバックについて、AI で修正が施されるという出来事があった。

AI を使うこと自体は問題ない。しかしそこには、エンジニアをやっていれば当然気付けるようなアルゴリズム (処理順) に関する問題があり、自らコードを読み、思考し、腑に落としたというプロセスが感じられなかった。

こうした責任意識の欠如は AI によって生み出された問題ではなく、人間同士でも発生するものだ。しかし、誰もが「簡単に一任できる相手 (AI)」を持てるようになった事実が、責任意識の欠如、すなわち「人間が思考や理解、意思決定を放棄する」という問題を加速させているように思う。

つい最近のニュースでも、そのような傾向を示す話題があった。AIコピペ提出経験、36% 大学生、外国語課題の翻訳依存

少なくとも私たちが生きる今の社会では、人間が説明責任を果たさなければならない。その社会では、人間が主体となって思考すること、理解すること、意思決定することを放棄してはならないと私は考える。

そもそも、AI が恒久的に完全であると示す術はない。AI に社会の全てを一任した時、それは人間の命運を AI に託すことに他ならない。今の世の中は、その方向へ歩みを進めているのだろうか。